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わけあってしばらく別のサイトでブログを書き続けます。
火の出るようなブログ2 The Blog that comes out of fire!


なにか事件が起きると、ニュースではよくその当事者の人格判断として、卒業文集が取り上げられることが多い。

若くして事故や犯罪被害で悲劇的な死を遂げた人の場合は「将来はボランティアの仕事がしたい」とか「消防隊員や看護師になりたい」という例をよく目にするが、これが凶悪犯だと意味不明な記述の紹介が多くなり、もう20年以上も経っている当時の同級生がおとなしくて何を考えているかよくわからない目立たない奴だった、などわかったようなことを言う。20年もすれば記憶もないのは当然だろう。事件が起きるとすぐにマスコミが卒業文集を買いつけるのは容易に想像できる。

この卒業文集と同じく近所の人へのインタビューも多い。これは被害者よりも加害者の方が多い気がする。「おとなしくてそんなことする人とは思いませんでした」など自分の顔を隠してコメントする人を見ると、お前そんなに知っているんかい?!って突っ込みたくなる。

当事者が正社員にしても、非正社員にしてもおそらく個人情報保護法の影響があったりするのだろう。家にひきこもりの場合だと、ネットのブログやツイッターで人格判断される。僕も要注意だ。

言いたいことは、事件の背景を知るためには犯人像も必要だろうが、四半世紀前の卒業アルバムや、言葉を交わしたこともない近所の人が犯した罪の犯人を勝手にイメージしないで欲しいということ。また僕たちも正確な報道で判断する冷静さが大切ではないだろうか?

なぜ報道するのか?それは再発防止が最優先であって興味本位や勝手なイメージ作りで「ああやっぱり」と勝手なステレオタイプで決めつけてストーリーテリングしてはいけない。






 最近の日本社会の中で、自分を完全に傍観者の安全な立場に置いて、さまざまなテクニックを駆使して、なんでもかんでも誰それが悪いと特定な人を徹底的に悪者にする。そんな人が多いと思いませんか?

東京大学の安冨歩先生が書かれた「原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―」という本が話題だ。

?アマゾンの紹介欄に東大話法とはこう説明されている。
「東大話法」とは

日本社会に蔓延する代表的な欺瞞的言語体系を支える重要な話法の1つ。最近では、原子力を推進し、大事故が起こってもなお、原発維持を貫こうとする人たち、脱原発指向を小馬鹿にする人たちによく見られる。東大に限定されるわけではないし、東大に関係のない多くの人も使用。ただ、東大という権威を利用すると、その威力は倍増する。

安冨歩先生はこのこの話法(規則)を以下の20に分けて説明している。

1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
2 自分の都合のよいように相手の話を解釈する。
3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
4 都合のよいことがない場合には、関係ない話をしてお茶を濁す。
5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
7  その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
8  自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
9「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
10 スケープボードを軽蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
11 相手の知識が自分より低いと思ったら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
12 自分の議論を「公平」だとl無根拠に断言する。
13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
14 羊頭狗肉
15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
16 わけのわからない理屈を使って相手をけむに巻き、自分の主張を正当化する
17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いことを見せる。
18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分のいいたいところに突然落とす。
19 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
20 「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

最重要項目は僕は8番だと思う。あと20番は自分が謝罪すべき当事者であるというのに、傍観者に成りすましている、という手法で、官僚や政治家の常套句、つい最近も蓮舫がそのまんまの発言をしたのを覚えている。

自分が安全な傍観者の立場に立ち、一番攻撃しやすいところを見つけて、自分が安全圏にいられるために、すなわち保身のために叩く。これが本質ではないだろうか?
この話法が最も完成されているのが「東京大学」。

政治家や官僚などまさに東大話法のオンパレード。
まず隗より始めよの正反対。すなわちこれは自分の戒めであり、自制でもある。



最近、女性学生の間ではブライダルプランナーという仕事が人気があるようで、検定試験まである。これは昭和の時代のド派手な結婚式の舞台演出じゃなくて、さりげないレストランでのパーティー形式などカジュアルなパーティーがメインなのだろう。

次に、こんな記事を読んだ。
どうやらアニヴェルセルを経営するAOKIが横浜みなとみらいに巨大結婚式場を建設させるそうだ。

 AOKIが横浜に大施設を建設 来夏、勃発する結婚式場戦争|inside Enterprise|ダイヤモンド・オンライン

世は少子高齢化。最近は結婚しても式は挙げない、という夫婦も多いときく。そもそも予算的にも昔と違って余裕のある層は減っているだろう。
さらに言えば、こんな記事もある。

震災の影響で結婚増加はウソ? 2011年婚姻数は戦後最低 (1/2) : J-CASTニュース

それにしても「国内紳士スーツ市場が過去15年足らずで半分以下に縮小するなか」ってすごい。音楽CDは10年で半分になったのだが、急速な勢いで日本の消費はしぼんでいる。
果たして結婚式ビジネスってニーズあのだろうか?






一度、ネット炎上の原因を徹底的に調べたことがあるが、やがてすぐにほとんどの原因は「道徳」というのがわかった。それも未成年の禁煙や飲酒など明確に「アウト」とわかるものが集中的に炎上する。あとは清純派アイドルのスキャンダルだ。ただし一部熱狂的なファンは別だが、道徳ほど盛り上がらず、今の時代、別に恋愛ぐらいいいじゃん、という声も少なくないのだ。

道徳とは別に、思想信条はそれぞれ各自の価値観が別れるために、それほど炎上しない。暴力団やブラック企業などもそれほどネットで叩かれない。これはある意味で情報管理が徹底されているからだと推測される。

未成年が喫煙、飲酒、卒論をコピペした。とんでもないやつだ!正体は誰だ?これが一番燃えるパターン。思春期の頃には、あえてワルを自慢することがカッコイイと勘違いすることがある。こんな若者が一番狙われる。要注意だ。

自分も経験あるが、図書館で騒がしいのを注意するのは意外と難しい。もちろん一切のおしゃべりは禁止なのだが、現実問題として小声程度は黙認している。しかしどこから注意するのかが難しい。それに比べて飲食物の持ち込みは明確だ。机の上に置いてあった時点でアウト。たまに「いや、中身は空です!」と言う学生もいるが、わざわざ机の上にゴミを置く人はいないって!

こうしてみるとネットでも未成年、法律違反などある明確な仕切り線があると弁解ができない分炎上する。喫煙問題も喫煙者と非喫煙者は明確に立場が分かれるからモメるのだろう。飲酒よりも燃える。

さて、その道徳。実際僕も学校で習ったのだが、さっぱり覚えていない。覚えているのは2つだけだ。「人にされたくないものはするな」、「人にされたいものをしろ、この2つ。
あと大人になってから身につけたのが「世の中いろいろな人がいる。だから自分の価値観を押し付けてはダメだ」。されたくないことも、されたいことも実は異なった価値観があるということだ。

僕はこの3つしか道徳らしいことを知らない。


「貴方は相撲が日本の国技といわれることに違和感を感じますか?」

おとといのちきりんのツイッターで、大相撲はいつまで国技になりうるのか?どうすればこのまま国技でいられるか?という話題で盛り上がった。

その中で国別の部屋を運営とか、体重別とかさまざなアイデアが飛び交ったけど、僕は結局は国技というのは初めから日本ありき、なのだと思う。相撲というのは単にまわしを締めて土俵で闘う競技ではなく、地方の片田舎から華のお江戸にやってきて、兄弟子のゲンコツや厳しいしきたりに苦労して、それでも稽古に精進し、という仕組み、システムそのものだと思う。相撲社会だ。

これはモンゴル出身の力士に関しても同じだ。
海外から日本にやってきて、慣れない言葉や食事に苦労して、それでも稽古に精進し、というのが相撲であって国別の部屋などありえない。相手国を意識させてはダメだと思う。舞台は日本なのであって、日本、いや相撲社会の郷に入れば郷に従え、この上から目線こそが国技の価値ではないだろうか?

随分前だが、NHKの記者の方が「平成の時代になっても、記者会見の席上で平気で隠語を使い、記者からの質問にも一方的に遮る団体が3つだけある。全国銀行協会、宮内庁、そして日本相撲協会だ」と話していた。どちらもグローバルとは無縁で、閉鎖的で、国民への開示に消極的な団体だが、やがてグローバルの洗練を受けて銀行協会は変わった。

そして思う。
なぜNHKの大相撲中継はあれだけ人気があるのか?
それはグローバルな時代においても変わることに消極的で、古き良きニッポンの伝統を愛するお茶の間桟敷席のファンが多い現れではないだろうかと思うが、さあ、どうだろう。


「あなたは愛した人や身近なご家族を亡くされたことがありますか?」
人が死ぬということはとても悲しい事だ。立ち直るのにずいぶん時間がかかるし、そのことが永遠に心の傷になることもある。

よくテレビや新聞では「今回の東日本大震災では死亡者約1万5千人」などと報じられるが、これはその尊い人生が1万5千も消えたということであり、1万5千通りの悲しみがあるということだ。

「がんばろうニッポン」「絆」「日本を元気に」
こうしたスローガンで復興を願う気持ちはもちろん悪いことではないし、自粛ばかりでは消費が冷え込み、かえって被災地に悪い影響を及ぼしかねない。このことはよく理解できるのだけれど、今僕が言いたいのは、せめて尊い命を亡くされたご遺族の方に「落ち着きましたか?どうかゆっくり悲しんでください」ということだ。「「ニッポンはひとつ!」のスローガンの中、私だけ本当に悲しんでいいのだろうか?」など思わないでください、ということだ。

東日本の震災だけでなく、尊い人の死を受入れるのには時間がかかるし、特に今回のような大災害の場合はその悲しみが何倍にも増幅される。少しづつでも落ち着かれたら、身近な人の死を受け入れられるようになったら、どうか落ち着いてゆっくり悲しんでいただきたい。
3月で1年を迎える今回の大震災。

1万5千個の魂たちよ、どうか安らかにお眠りください。

今の僕には静かに祈ることしかできません。


 今年の正月明け、各社一斉に新聞の1面を飾ったのは「山手線に新駅ができる」だった。
NHKのニュースでもトップ扱い。
あの・・・これ、そんなに大きなニュースですか?

いつも思うのは僕が首都圏で生活しているからかもしれないけど、いつだって市民の声は銀座や新宿、あるいは新橋など都内の繁華街に限られることだ。NHKなら渋谷だ。すぐに取材できるから。

新聞の世論調査がこのご時世に平日の昼間にイエデンを使う、というにも驚いたけど(だから老人ばかりの意見に集約されるのだ。それが新聞の狙いか?)、日本は東京だけじゃないはずだ。
首都圏の声なら、横浜、さいたま、千葉市などでもいいだろうし、川崎、相模原だって政令指定都市だ。

いい加減、丸の内=OL、新橋=中高年サラリーマン、原宿=若者、代々木=予備校生、秋葉原=オタク、巣鴨=老人というのはやめたらどうだろう?

地方にお住まいの方、みなさんはどう思いますか?
違和感ありませんか?


昨日アップルの発表したiTunes Uがすごい。

アップル本日発表のiBooks 2、iBooks Author、iTunes Uについて知っておくべき全てのこと(GIZMODO) - livedoor ニュース

既にデューク大、スタンフォード大、イエール大など、この新ソフトを使ってる大学もあるそうで、デジタルコースは既に100コース以上作成済み。無料。
この流れは単に電子教科書だけにとどまらない。

数年前からMITがほとんどの授業をインターネットで公開し、先進国はもちろん、インドやアフリカなど途上国の学生たちに広く門を開いていたが、劣悪な住環境の中にいる学問に意欲のある若者でも地元の図書館でこの世界トップレベルが受けられる。メールやチャットで質問出来る。教材だって手元のプリンタで出力できる。

電子教科書は電子教科書にとどまらず、この中に教員さえも含まれていくのだ。

そもそも大学とは広大な敷地にキャンパスを作り、多くの教員(研究者)と事務職員を専任・兼任で雇い、毎年きっちり学生数分授業料収入を得て運営してきた。でも夏休みや春休みが多く、実際の授業の実態はもちろん各大学まちまちなのだが、重要なのは多くの大学が文科省の行政指導の元に画一化され、無駄が多く非効率的。

現代は中流激減の時代。今までのように私立文系の場合、ひとりの子供の500万円の大学教育費をかけられる親も減るだろうし、当然リターン要求レベルは上がる。それには大幅なコストカットが必要だ。もちろん大学と言っても医学部や薬学部、あるいはロースクールなどさまざなま大学があり、従来の環境の大学も必要だろう。クラブ活動や部活動で広大なキャンパスも当然必要となる。しかし、都心回帰の時代、ボストンやケンブリッジ、あるいは本郷での大学の授業がリアルタイムで受講できるなどもっと多様なスタイルの大学があってもいいのではないだろうか?

もし電子大学が実現すると、世界一流の一部の教員だけで済み、国内の多くの研究者が余剰人員になるかもしれない。あるいは実際のネット授業のコメンテーター的な役割になるのかもしれない。厳しい意見を言えば、一流の教授、サービスとコスト意識を持った職員が要求されるが、ICTとは人員削減の歴史であり、当然教育業界にも大幅なコストカットの波がやってくる。必ずくる。遠いキャンパスに通わなくても、あるいは通信教育のように働きながらでも、地方でも、途上国でも受講できる大学。あとは資格や検定試験だけをしっかり認定すればいいだろう。

電子化の動きは大学だけではない。

小中学校の国語という授業は文学を読むことが基本だ。なぜ映画、ドラマ、音楽の感想じゃだめなのか?これは従来の明治からの教科書至上主義があったのだろうし、紙の限界でもある。もちろん文学を否定しているわけじゃない。だから電子教育は国語というカリキュラムの基本的な内容さえも変えてしまう可能性があるということなのが。

さらになんでもかんでもデジタルになるのが良いわけなくて、むしろそこで改めて生身の人間のもつ血の通った教育を再構築するいい機会になるのではないだろうか。

でも全国の教育関係者の皆様、安心して下さい。

僕たちのお国の文科省がこんなラジカルなことを認めるわけありませんし、日の丸君が代起立、教員試験の更新制度や人事評価制度にまさに玉砕特攻の勢いで猛反対する教職員組合がそうやすやすと受け入れるわけがありません。それに親がデジタル世代にならない限り、教育にデジタルを入れることに親はあまり積極的にならないでしょう。すなわち時間がかかると。

本当は教育格差を縮める絶好のチャンスなのですが、やる方によっては逆に世界的なものすごい格差になって後進国に置いてきぼりを食わされてしまうかもしれないこの電子教科書問題。

さあどうなることやら。でも僕は学生の全入時代はあと10年持てばいいと思います。
やがて大学は一部の研究者向けの大学と、専門的な職業訓練校と、さらにしつけやマナーなどを徹底的に教える人間教育系の大学に別れると予想します。そしてやがて人間教育系の大学はニーズが失くなり、消滅するのではないでしょうか。


山一証券、北海道拓殖銀行が破綻した年度末の1998年3月から日本の自殺者が急増している。女性の率はさほど変化がないのだが、働く男性の中高年の自殺が増えたのだ。

そして今、20代、30代の自殺者が急増している。 内閣府の調査によると4人に1人が真剣に自殺を考えたことがあると回答したそうだ。これはそれ以外の年齢層よりも明らかに多い。

ある若者は言う。
「死ぬ気になってやれば、というけど死ぬ気になるんだったら死にます。死ぬほどのことの目的ってなんですか?なにが楽しいんですか?この社会がそんなにいいんですか?」

LGBT(性的マイノリティ)やいじめや虐待を受けてきた子供は将来自殺する率が高い。

さらに就職難の時代、100社エントリーして40社面接受けても不合格だらけの時代、生きにくいのはよくわかる。僕は時々バブル世代の既得権者が今の就活を経験したらどう思うか、と思う時がある。
自分だったら・・・。

このような若者に対して「甘えるな」「オレの若い頃は」など言えるだろうか?(まあ言っても解決しないが)

僕の周りでも自殺した人や親が自殺でなくなった方もいる。かなりいる。どうしたら自殺者が減るか、もう一度真剣に考えてみたいと思う。